結婚していた頃
どんなにイヤなことがあっても、どんなに辛くても
絶対離婚だけはしないと決めていた

私には私なりの理想があった

個人主義の家庭で育った私
父は仕事でめったに家にいることはない
母はそれをいいことに毎日自由に遊んでいた
大きくなってからは、わずらわしいことはなかったし
自分で責任をとるという習慣も身についた
それなりに楽な生活だったけど、小さい頃は淋しかったのを覚えている
学校から誰もいない家に帰るのは淋しかったけどすぐに慣れた
でも夕方になるのがすごくイヤだった
友達はみんな家に帰ってしまう、母は暗くなるまで帰ってこない
年の離れた兄も学校から帰って来るのは遅い時間
夏は特にキライだった
夕立がくると怖くてひとりで布団にもぐりこんでいたのを覚えている

カッコよく言うとそれが理由になるかもしれない
でも実際のところは私にもわからない
ただ、子供が生まれたら必ず「お帰りなさい」を言ってあげたかった
小学生にもなれば、帰って来てもすぐ遊びに出かけてしまう
それでも必ず「いってらっしゃい」と「お帰りなさい」だけは言ってあげたい
それが出来ない状態なら私は子供を作らない。そう決めていた
<子供は自分の手で育てたい>それが一番の希望だった

それぞれ事情があり、子供を人に預けながら生活している人もたくさんいると思う

子供が小さいうちから、子供を預けて仕事をすることが
悪いこととはもちろん思ってはいないし
その状態で頑張っている人達を尊敬もする
とても大変なことだと思うから。肉体的にも精神的にも。

いつも子供のそばにいてあげることが一番いいのか、それも私にはわからない
親の働く姿を見て育つ子供が幸せか
淋しい思いをせずに育つ子供が幸せか
そんなの誰にもわからない

だから自分の手で子供を育てたいというのは
子供の為なんてキレイごとではなく、単なる私の希望

だから子供の為にではなく
たぶん自分の自己満足の為に頑張っていたんだと思う





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